こうれいじんじゃ 【孝霊神社】 法楽寺の鎮守社であった黒田村の⽒神 別名「廬⼾神社(いおとじんじゃ)」ともいわれます。 古事記中つ巻には、第7代孝霊天皇の宮として⿊⽥廬⼾宮(くろだいおとのみや)が記されており、この宮跡に建てられたのが法楽寺といわれています。 孝霊神社はもとはこの法楽寺の鎮守社で、明治時代初期の神仏分離令により現社地へ遷座し、⿊⽥村の⽒神として引き継がれました。 孝霊天皇の第3皇⼦である吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、⼭陽道を制圧した四道将軍の1⼈であり、おとぎ話「桃太郎」のモデルとされています。 さらに、第1皇⼥である倭迹迹⽇百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)については、箸墓古墳(奈良県桜井市)がその墓とされていますが、箸墓古墳は邪⾺台国の⼥王卑弥呼の墓ではないかとする学説もあります。 ⾨前の街道は、聖徳太⼦が⾶⿃から法隆寺へ通った「太⼦道」(法隆寺街道)であると伝えられています。 詳細情報 名称 孝霊神社 エリア ⻄部 住所 奈良県磯城郡田原本町黒田262 拝観時間 境内⾃由 駐車場 なし 【住所】奈良県磯城郡⽥原本町⿊⽥262 【電⾞】近鉄⿊⽥駅から約250m 【⾞】⻄名阪⾃動⾞道⼤和郡⼭ICから約7km、約15分 【徒歩】近鉄⿊⽥駅から約3分 【トイレ】なし 【拝観料】無料
古事記中つ巻には、第7代孝霊天皇の宮として⿊⽥廬⼾宮(くろだいおとのみや)が記されており、この宮跡に建てられたのが法楽寺といわれています。
孝霊神社はもとはこの法楽寺の鎮守社で、明治時代初期の神仏分離令により現社地へ遷座し、⿊⽥村の⽒神として引き継がれました。
孝霊天皇の第3皇⼦である吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、⼭陽道を制圧した四道将軍の1⼈であり、おとぎ話「桃太郎」のモデルとされています。
さらに、第1皇⼥である倭迹迹⽇百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)については、箸墓古墳(奈良県桜井市)がその墓とされていますが、箸墓古墳は邪⾺台国の⼥王卑弥呼の墓ではないかとする学説もあります。
⾨前の街道は、聖徳太⼦が⾶⿃から法隆寺へ通った「太⼦道」(法隆寺街道)であると伝えられています。