こじきとおおやすまろ

【古事記と太安万侶】

     

    太安万侶坐像(多神社)       太安万侶キャラクター「やすまろさん」

 

「古事記」は天武天皇の命によって、それ以前に存在していた歴史書の「帝記」「旧辞」(いずれも現存していません)を基に、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記し語った神話や伝承などを太安万侶が記録し、そして712年に元明天皇の命によってそれらを編纂(へんさん)して3巻にとりまとめたものです。

安万侶は今の田原本町多のあたりに居住していた豪族多氏の長で、壬申の乱(672年)において活躍した多品治(おおのほむじ)の子といわれています。長じて、国の役人となり平城京に赴任しました。そして古事記の編纂や、後には「日本書紀」の編纂にも携わりました。平城京の左京四条四坊(今のJR奈良駅西側)に住み、民部卿(みんぶきょう)・従四位下(じゅしいのげ)という官位に叙せられたことが、奈良市東部の茶畑で発見された火葬墓から出土した墓誌に記されています。

田原本町内には、太安万侶ゆかりの多神社をはじめとして、古事記に関係する神社や伝承がいくつもあります。
鏡作神社は古来、鏡を製作する技術を持った工人集団が住んでいたといわれる鏡作郷(かがみつくりごう)に鎮座しています。そのため、鏡の祖として、ガラスメーカーや鏡業界、また鏡を大切にする美容師からあつい信仰を受けています。記紀に記された「天の岩戸」の神話で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に鏡を差し出した石凝姥命(いしこりどめのみこと)などが祭られています。なお、町内には八尾など4座、石見(三宅町)にも1座の鏡作神社があります。
また、古事記中つ巻には第7代孝霊天皇の宮として黒田廬戸宮(いほどのみや)が記されています。宮の地名としては町内で古事記に登場する唯一の地名です。

法楽寺は寺に伝わる由緒書によると、この宮跡に建てられたとされており、境内に石碑があります。また、孝霊天皇を祭る孝霊神社は、明治までは法楽寺の境内にありました。この宮で皇子として生まれた大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)兄弟は、成人して吉備国の平定で勝利し、「桃太郎の鬼退治」のおとぎ話のモデルとして語り継がれています。
他にも、記紀ゆかりの神社として、村屋神社、池神社、津島神社などがありますので、ぜひ訪れてください。

(出典: 田原本町役場「古事記のふるさと田原本」より抜粋
URL:http://www.town.tawaramoto.nara.jp/kanko/kanko/kanko_kanren/4/1/index.html

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