2024/7/4 【ブログ】
【ガイドの小箱】田原本津島神社の疫病退散こぼれ話
~ボランティアガイドTさんより~
当社では最初、地域の産土神(うぶすながみ)をお祀りしていましたが、平安時代に疫病が蔓延しました。
目に見えない得体のしれないものが襲ってくる恐怖は、皆さんも「新型コロナウィルス」で体験したことと思いますが、今のように医療が発達していなかった当時、人々は疫病にかからないようにと神仏に守ってもらおうとしました。
そこで、疫病を鎮める神様として、京都の八坂神社から「牛頭天王(ごずてんのう)」を分祀(ぶんし)してもらい、神社の名前を「祇園社」としました。
牛頭天王はインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守り神として、仏教に帰依(仏を信じ、その教えに従う)した神様です。
明治の神仏分離令により、田原本藩領主・平野氏の出身である愛知県津島神社のご祭神が「スサノオノミコト」であったことから、お祭神を牛頭天王からスサノオノミコトに、そして、神社の名前も「津島神社」としました。
祇園祭の始まりは、疫病神、たたり神、害虫のわざわいの霊を鎮めるためのものです。
津島神社の夏祭り「祇園祭」は、疫病退散と地域の平安祈願をするため以前は長かった祭礼も、現在7⽉20⽇前後の⼟・⽇曜⽇の2日間になりましたが、地域の人々に親しみを込めて「祇園さん」と呼ばれています。
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次は「津島神社の昔話」を紹介しましょう。雷様のお話です。(田原本町HP「田原本町に伝わる昔話」より転載:https://tinyurl.com/mupaekjx
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<雷の話いろいろ(広報たわらもと1989年7月号掲載)>
一、雷公(らいこう)の詫言(わびごと)(津島神社)
今からおよそ八百年ほど前の昔、この神社の神様は極度に雷を嫌われていました。
ある日、ゆくりなくも雷公が足をふみはずして落下し、境内の大木を焼いてしまいました。
神様は激しく怒って雷を捕らえて神域の大木に縛り付け、みだりに落ちて大衆を騒がす罪を責められました。
雷公はいたく恐縮して「この土地へは我はもとより、わが子々孫々に至るまで決して落ち来たり候まじ」と詫び、以後落ちないことを誓いました。
雷公はようやく許しを得て縛りを解いてもらい、くだんの大石を伝って大空に帰り去りました。
その大石には、雷公のかきむしったツメの跡がいまだに歴然とのこっているということです。
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津島神社神殿横には、大石が残っています。雷の爪痕があるかも!!
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ことしの”ぎおんさん”(「田原本町民夏祭(ぎおん祭)」)は、7/20-21に開催
屋台やステージも楽しみですが、無病息災を祈願しに、ぜひお参りください😊