2022/8/18 【イベント情報】
【歴史講座】壬申の乱1350年 ―天武が目指した世界―
<ゆかりの古社「村屋神社」>
「村屋神社」は田原本町蔵堂にある式内大社で、正式名称を「村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)」といいます。
祭神は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と大物主命(おおものぬしのみこと)の夫婦神で、「縁結び」「家内安全」の神として信仰を集めています。
また、桜井市三輪にある「大神神社」の妃神をまつっていることから、大神神社の別宮とも称されます。
日本書紀によると、壬申の乱の際、村屋神が神主にのりうつり、大海人皇子方の将軍・大伴吹負(おおとものふけい)に、「わが社の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と言って、近江朝廷軍に対する軍備の助言を与えたといわれています。
後に、戦いを勝利に導いたこの功績から、村屋神社は神社として初めて天皇から位階を賜ったとされています。
村屋神社宮司・守屋家の家系図でも壬申の乱に触れられており、村屋神が神懸かった神官は、第22代の室屋 喜久麿と記されています。
また、天皇(大海人皇子)が森の屋(おく)に篭られたことから、屋号が「森屋(もりや)」に改まったという記述もあり、村屋神社は今でも通称で「森屋さん」とも呼ばれます。
日本書紀の記述では、「村屋神」は地名だけで神名がありませんが、主祭神である「三穂津姫」が女神であるため、現在は当社の境内社となっている「村屋神社」の軍神二神「経津主神(ふつぬしのかみ)」・「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」ではないかとも思われます。(村屋神社ホームページより)
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2022年は、古代史上最大の内乱「壬申の乱」から1350年にあたります。
『天武天皇は壬申の乱から何を見いだしたのか?そして、天武の目指した国家とは?』
ゆかりの古社「村屋神社」がある田原本で、奈良大学文学部文化財学科 准教授 相原嘉之氏を講師に迎え、今改めて問う講座を開催します。
皆さまのお申し込みをお待ちしております。
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♦お申し込み方法は、特設ページでご確認ください。